東京高等裁判所 昭和33年(く)45号 決定
被告人 石橋治
〔抄 録〕
被告人は、傷害、銃砲刀剣類等所持取締令違反被告事件について、昭和三二年一二月一四日東京地方裁判所八王子支部において保釈許可決定を受け、同年同月二六日釈放せられたものであるところ、原裁判所は検察官の請求により昭和三三年五月一四日、被告人が右保釈許可決定指定の制限住居である千葉市原町九二の実兄石橋三郎方に居住せず、その保釈条件に違反したものであることを理由として、右保釈許可決定を取り消し、保釈保証金を全部没取する旨の決定に及んだのである。しかしながら右決定当時被告人は東京都昭島市郷地一七八番地の内縁の妻最上いと方に居住していたものであつて、右住居は昭和三三年三月一四日弁護人長谷川天地から原裁判所に制限住居変更願書を提出し同裁判所の許可を受けたものであるから、原決定の理由は首肯しがたいところである。もつとも、被告人は前掲保釈許可決定を受けて釈放せられた後同決定に制限住居と定められた千葉市原町九二番地の実兄石橋三郎方に居住しなかつた事実はある。しかしながら右は右石橋三郎が同弁護人に対して被告人の保釈許可があれば自分方に引き取りたいというので昭和三二年一二月(一一月とあるは一二月の誤記と認められる)一六日付で同弁護人と右同人と連署で被告人の身柄引受書を提出したのであるが、右同人は保釈保証金を持参せず右保釈許可決定後十余日を経過した同年同月二十六日になつてようやく他から金を届けられたのでこれを裁判所に納入して釈放せられたものであつて、被告人は右決定の制限住所が実兄石橋三郎方に指定せられたことを知らずして起訴状記載の勾留前の自己の住居である東京都昭島市郷地一七八番地崔東吉方を制限住居と思いこみ同人方に帰宅したものである。しかして同弁護人は被告人とは連絡なきまま翌三三年一月一七日の原裁判所公判廷に出頭し、被告人が釈放後右崔方に居住していて仕事の関係上本件の結末のつくまで右崔方に居住する必要を認めて、同日原裁判所に対して右崔方に制限住居変更願を提出したのである。ところが被告人はその後最上いとと内縁関係を結び、制限住居を同市郷地一七八番地同女方に変更したいというので、同年三月一四日同弁護人より原裁判所にその旨の制限住居変更願を提出してその許可を受け、引続き同住居に現在するものであつて、被告人には住居制限の保釈条件に違背する意思はなかつたものである。しからば、原裁判所が、被告人において釈放後一時石橋方に居住しなかつたという過去の外形事実を促えて住居制限の保釈条件に違反したものとして被告人に対する保釈許可決定を取り消し、保釈保証金全部を没取したのは、まことに不当であるから、これが取り消しを求めるため抗告に及んだ次第であるというのである。
よつて審究するに、関係本案事件記録によれば、被告人は昭和三二年九月二八日殺人未遂被疑事件につき東京地方裁判所八王子支部裁判官の発付した勾留状によつて代用監獄立川警察署留置場に勾留せられ、同年一〇月一七日勾留のまま東京地方検察庁八王子支部検察官から傷害、銃砲刀剣類等所持取締令違反罪により東京地方裁判所八王子支部に起訴せられ、後小金井警察署留置場次いで八王子医療刑務所に移監せられたが、同年一二月一四日同裁判所裁判官より保釈許可決定を受けて同年同月二十六日釈放せられたものであること、右保釈許可決定には被告人は千葉市原町九二番地に居住しなければならない旨の指定条件が付せられていたこと、及び昭和三三年五月一四日原裁判所が検察官の請求により、被告人が右指定の制限住居に居住せずその保釈条件に違反したことを理由として右保釈許可決定を取り消し、保釈保証金全部を没取する旨の決定に及んだことは明らかである。
ところで本案事件記録によれば、被告人は右釈放後昭和三三年一月一七日の第一回公判期日に出廷した際住居は起訴状のとおり、すなわち東京都昭島市一七八番地崔東吉方であると答えていること、右同日付にて弁護人長谷川天地より原裁判所にあてて被告人の制限住居を右崔方に変更許可願書が提出されていること(ただしこの願書に対しては原裁判所がこれを許可する旨附記されているが裁判官の押印がない)被告人は同年二月七日の第二回公判期日には出廷し、同年三月一四日の第三回公判期日には不出頭であるが、病気のためであつてこれを証明すべき診断書が提出せられていること、右同日付にて同弁護人から保釈決定の制限住居を昭島市郷地一七八番地最上いと方に変更を許可せられたい旨の願書が提出せられ同年三月二六日頃その許可を受けたものであること及びその後同年四月一一日の第四回及び同年五月九日の第五回の各公判期日にはいずれも出廷していることが認められる。しかして右最後の公判期日における証人石橋三郎の供述調書によれば、同人方に被告人が保釈後二回ばかり泊つて行つたがそれは二回とも本年(昭和三三年)三月以後のことであるというのであるから、被告人が前掲釈放せられた昭和三二年一二月二六日から正式に制限住居変更許可を受けた昭和三三年三月二六日頃までの間保釈許可決定の条件である右石橋三郎方に居住していなかつた外形事実の存することは疑なきところである。しかしながら、保釈決定に際して提出された身柄引受書が同弁護人と右石橋三郎との連署ではあるが、右本人の署名とはみられず、かつその名下に押印のないこと、釈放されたのが決定の後一〇日余も経過していること、及び第一回公判廷で被告人は住居は起訴状記載のとおり崔方であると答え、裁判官の今後どうするつもりかとの問に対して、郷里の千葉に帰り兄の三郎と一緒に暮すつもりですと答えていること、そして原裁判所に照会した結果によると、右保釈決定書が被告人に送達せられたとみるべき跡はなく、原庁の取扱としては保釈決定謄本は申請人に被告人の分を含めて交付して請書をとつているというのであるが、本件本案事件については申請人たる同弁護人に交付せられた謄本は同人の分一通のみと認められることなどを綜合してみると、所論のごとき事情の下に弁護人、実兄及び被告人間の連絡が十分でなかつたため被告人においてその制限住居が実兄方であることを知らないで出所して起訴前の住居である右崔方に帰宅したものと認めるを相当とし、したがつて被告人が保釈条件に違反することを認識しながら出所後実兄方に居住しなかつたものとは認められない。しからば原裁判所がたやすく右外形事実によつて被告人が保釈条件に違背したものとして保釈許可決定を取り消し、保釈保証金全部を没取したのはまことに不当の措置というの外なく、弁護人の抗告は理由があつて原決定は取り消さるべきである。
(中野 尾後貫 堀真)